舞城王太郎/ディスコ探偵水曜日

かなりご無沙汰になってしまったのにも関わらず、こんな表紙の作品でどうかと思いますが・・・。

ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)

ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)

ディスコ探偵水曜日〈中〉 (新潮文庫)

ディスコ探偵水曜日〈中〉 (新潮文庫)

ディスコ探偵水曜日〈下〉 (新潮文庫)

ディスコ探偵水曜日〈下〉 (新潮文庫)

※ ちなみに表紙は萌えてますが、中身はそんな感じではないです。そしてちょっとエログロ入ってます。村上春樹+αくらい。

今年これまで読んだ小説で、というか、ここ数年来でおそらく一番の衝撃的だった作品です。
著者の集大成的な作品と言われているのですが、物語の、そして物語るということの可能性を追求し、そしてその新たな地平を開いた傑作だと思います。
そして、物語るということが生きるということとパラレルであるのであれば、生き方だって意志の力で変えることができるという勇気をもらえる作品。


前提としてなのですが、この物語は、そこまで露骨ではないのですが、登場人物が所謂、物語の作法やコンテクストに言及することの多い、メタ物語のような色彩が濃くなっています。例えば、著者がモデルになった登場人物が登場したりです。そして、ここまではよくある現象なのですが、このことによって、著者が物語を作るという事と、登場人物が生きていくという事が、読者にとって強く意識されます。そして、読者自身が生きていくということも。

そして、この物語では、予告なく(物語の作法でいうと伏線もなく)、時空は折れ曲がるし、死者は甦る、パンダが日本語をしゃべります。そして、作中で登場人物が物語の作法に何度も言及するのにも関わらず、コンテクストは簡単に裏切られ、ストーリーは迷走します。(厳密にいうと、物語序盤から伏線は貼ってあるのですが。すなわち、この物語
では「何でもありだ。」という伏線が)。

このように書くと、物語として破たんしているように思えるのですが、何故か破たんしていない。その破たんするか破たんしないかのギリギリのラインのせめぎあいに作者は挑戦し、そしてラインを拡張させることに成功したように思えます。これは著者の技量によるところも大きいと思いますが、それ以上に作中で強調されているのは、意志の力です。おそらく、物語を破たんさせなかったのは著者の強い意志、すなわち、世界に対する優しいまなざしなのではないかと思います。

本当に、正直、物語というのがここまで自由な形を取りうるものだとは、僕自身はまったく思いつきませんでした。無茶苦茶なストーリーで、文脈は無視され、それでも物語は破たんしない、強い意志さえあれば。そして、物語るということとパラレルな生きるという事や世界だって、もっと自由な形になりうるものだ。ということを教えてくれる作品です。過剰なほどのエログロな描写なのですが、読後感が何故か凄まじくさわやかなものでした。

そして、本当に面白い。こんなに物語の作法を裏切りまくっているのにも関わらず、ページを繰らせる力がすさまじいんです。何故かわからないですが。

物語というメディアの可能性を広げた、というか、この物語のおかげで、多分小説という文化自体が寿命が延びたというと言い過ぎだけれど、本当にその可能性の深さを僕は再認識しました。また小説を読み続けたいと思える作品です。本当は文学史に残る作品だと思うのですが、そこまで広く評価はされていないのは残念です(その理由ははっきりしているのですが)。

ちょっと友人に勧めにくいのが難点だけれど(笑)、本当にものすごい傑作に出会えたものだなあと思います。

そして、この本を読んだときにヘビーローテーションだったのがこのアルバム。

つまんね

つまんね

たまたまだったのですが、とてもこの小説の雰囲気にマッチしててとてもよかった。このバンドも友人にはすすめづらいけど(笑)、新しい才能がどんどんでてくるのはすごいなあと思います。