絲山秋子/ラジ&ピース

人は変わることができるかもしれない。僕も、変わることができるかもしれない。

ラジ&ピース (講談社文庫)

ラジ&ピース (講談社文庫)

思わず、久しぶりに、ほろりと来てしまった作品。

著者は、エログロを厭わない女性の深淵みたいなところを描いたような作品と、思わずほろりと来てしまうような仄暗い希望を描いたような作品の、どちらもを描ける作家さん(というか中間のない感じの極端な作家さん)なのだけれど、この作品は後者です。そして、とても完成度が高いもの。系統としては、芥川賞を受賞した「沖で待つ」に近い作品だけれど、よりコントラストがあがって、闇はより深く(闇というよりは、濁ったという感じだけれど)、そしてその分だけ、光もより澄んで、そして明るい。

他人に興味を持てない、ブースの中だけが安らげる場所のラジオパーソナリティが、ふとしたきっかけで、自分の居場所をみつけてく物語・・・って書いてしまうとなんてベタに聞こえてしまうんだろう。これはおそらく僕の文才がないというのもあるのだけれど、この作品自体は本当に素晴らしいものなのだけれど、一方で、テーマとしては多分普遍的なものってことの裏返しだと思います。さらに言えば、普遍的なテーマだからといって、イージーだとは限らなくって、多分、色んな人が考えてそれでも答えの出ないテーマっていうことの裏返しってわけでもあるわけだし。

「自分のことが嫌い」「自分を愛せない」だとか、っていうのは中学生に任せとけみたいな事を言われる一方で、「自分に誇りが持てない」「自分に満足できない」っていったら30代の悩みとして正当化されるのって結局なんだかとても可笑しくって、馬鹿みたいだと思う。そういうこと思うことが多少なりともあったとしても、でも、きっと人は変わることもできるかもしれない、そして、僕だって変わることができるかもしれないな、と思いました。強い意志やめぐりあわせで。その可能性を上げていく作業を粛々と積み重ねていけばいい。

辛気くさいということ

物語が展開される群馬県の地域描写がなんとも・・・辛気くさいんですよね。それが主人公の閉塞感やいきづまりをものすごくうまく表現してて、後半の展開に効いてきます。これは、本当に筆者の心象描写における技巧のなせる業であって、群馬県自体がそういうわけじゃないと思うんだけれど(群馬県の方、ごめんなさい)。こういう残酷なまで描写ができる作家さんというのは、本当に上手いと思う。例えば、悪人での吉田修一さんの描写も、場所は九州だけれど、本当に上手いです、そしてこれもとても残酷なまでの辛気臭い描写。

結末は本当にほろっときました。やっぱりご都合主義と言われても希望はもちたいし、明るい未来を信じたい。全体のトーンはやっぱりほの暗いのだけれど、これ以上ないほどの今年一番のハッピーエンドでした。