村上龍/シールド(盾)

2006年の作品。絵本という体裁をとっているのですが、150ページ強もあるので、文章の容量としては短編くらいはあるのではないかと思います。

個人的な印象であるし、我ながら安易な比較であると思うのですが、僕は村上春樹が「壁」に象徴されるような「盾」の文学を書いてきた作家であるならば、村上龍は一貫して「武器」の文学を書いてきた作家であるように思っていました。そういう著者が「盾」というタイトルで書いた作品というのは、なんていうか興味深く感じます。

わたしは一つの仮説をたててみました。わたしたちの心とか精神とか呼ばれるもののコア・中心部分はとてもやわらかくて傷つきやすく、わたしたちは色んなやり方でそれを守っているのではないか、というものです。そしてそれを守るための色々な手段を「盾・シールド」という言葉で象徴させることにしました。さらに「盾」には、個人的なものと集団的なものがあるのではないかと考えて・・・

こういう考え方というのは、特に目新しいものではないと思うのだけれど(僕たちの世代を直撃し、ある種そのアイコンともいえるエヴァンゲリオンなんかで顕著ですよね)、著者がこういうことをいうなんてっていう衝撃がありました。
だけれど、この作品でとりあげられている「盾」というのは、一般的には「武器」と言われているものだと思います(例えば大企業に入ることだとか、専門知識を身につけることだとか)。そんなことは著者には分かりきっていると思うのだけれど、これを「盾」であると捉えなおすことの意味というのは一体なんなのだろうか、そういうことを考えさせられた作品でした。
個人的には、著者の考える「コア」というのは、自尊心が大きなウェイトを占めているのではないかと考えました。その辺りは「愛と幻想のファシズム」あたりで僕が強く感じたところだけれど。そういう捉え方も確かにありなのだと思います。ただ、自尊心というのは他者への強い意識がなければありえないのではないかという風にも捉えうるのではないかな、と。「強い個人」を志向する考え方が、他者への強い意識に基づいているというのは何ていうか非常にパラドクシカルなことで、そして皮肉なことでもあるように感じました。