堀江敏幸 / 熊の敷石

熊の敷石 (講談社文庫)

熊の敷石 (講談社文庫)

1999〜2000年に発表された3作品を収録。3作品とも、非常に素晴らしい作品だと感じたのですが、特にタイトル作に感じるところがありました。3作品とも短編としても短い方だと思うのですが、やはり小説は長さではないな、と思います。

フランスに出張した主人公が、写真家であるユダヤ人の旧友と再会し、彼らの会話を中心に展開されてゆく物語。旧友の撮影した写真や主人公の翻訳している本を媒介に、収容所や、先天的な障害をもって生まれた子供に、物語がつながってゆきます。

痛みはまず個にとどまってこそ具現化するものなのだ。

このフレーズが最も心に残りました。これは「公の悲しみとはあるのだろうか」という問に対比されて綴られているフレーズです。
悲しみが共有できるというのは、おそらく本当で、例えば2者以上の間で悲しみの原因となっている要素が共通していればそのような事態は発生すると思います。だけれど、その個々の感じている悲しみという感情は、それぞれ異なっていて、それらを理解しあえるというのは幻想でしか過ぎないのではないかと思います。
このような考え方は、一般的に悲観的だとか冷たいだとか、もしかするとニヒリストぶっているとすら思われるのかもしれないけれど、僕は悲しみを理解しあえるという幻想の方が危険なのではないかと考えています。つまり、本当の意味での排除をうむのは、むしろ「公の悲しみ」の存在を仮定する考え方なのではないか、と。なぜならば、特定の事象を共有する人にしか理解できない感情や思いがあるだという考え方は、その事象を共有しない他者とは分かりあうことができないという考えを導く可能性が高いと思うから。ポリティカルな話は嫌いだけれど、「公の悲しみ」を擬制することによって、動いてきた歴史もあるのではないかと思えます。逆に言えば、集団をコントロールするためには「公の悲しみ」っていうのは非常に有効ではないかと。

タイトルの意味が終盤、明かされるのですが、それがまた秀逸です。