舞城王太郎/好き好き大好き超愛してる。

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

27歳の男子はブックカバーなしでは読めないタイトル、そして表紙。でも、内容は物凄く面白かったです。これはちょっと今年読んだ中でも1,2を争う位かも。

「愛は祈りだ。僕は祈る。」で始まり、やたら「愛」を連呼してる小説。だけれど、僕は絶対恋愛小説じゃないと思いました。

祈ることに何の意味があるのだろうか?僕達は祈ることで救われてたりするのだろうか?何かを解決したり、発見できたり、その手触りを感じられたりするんだろうか?

という問いかけが本作の根底に流れている問題意識のように思えました。愛ってなんなのか。物語ってなんなのか。生きるってなんなのか。抽象的な概念を実感覚に置換して言語化していく、しかもとても自由なやり方でっていうのが著者のスタイルなのだと思います。それは、何ていうか虚数を表現しようとして複素数平面ができてしまったというようなものなのかもしれない(うまい比喩じゃないかもしれないですが)。物凄くカオティックなストーリーだし、ロジカルに説明はつかないのだけれど、概念的なもの、イマージナルなもの、を実感覚に変換しようとすると、どうしてもそのようになってしまったというような必然性があるように僕には感じられます(逆に言うと、感じられない人からの評価が低いのはよく分かる気がします)。

阿修羅ガール」のイメージが強かったので、こんなに繊細な文章が書けるんだみたいな驚きもあったのだけれど、「阿修羅ガール」だって後半はこんなタッチの文章だったよな、と思い返しました。同時に著者独特のぶっとんだ感じの話や描写も随所に織り込まれています。

作中にも書かれているのだけれど、この人の小説は私小説っぽいタッチというか、作者の実体験に基づくという意味では絶対基づいていないのだけれど、そういう雰囲気が多々あります。それは、一人称で語り手の心象描写を延々とし続けるところだとか、そういう部分に僕は感じるのだけれど。
そういう風に読んでいるので、ぶっとんだ展開やありえない設定だとかも、僕は心象の表象と素直に読んでしまえるので、わりかし筆者に好意的なのかなとも思います(ただ阿修羅ガールは絶賛するにはちょっと下品過ぎたけれど)。
なんていうかタイトルとか雰囲気とか、小沢健二の「戦場のボーイズライフ」を思い出しました。